1990年 3月 自治労連発足にあたって「自治体労働組合運動の前進と婦人部活動の発展をめざして」

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33年間の発言と退出 - 1990年 3月 自治労連発足にあたって「自治体労働組合運動の前進と婦人部活動の発展をめざして」

1990年 3月 自治労連発足にあたって「自治体労働組合運動の前進と婦人部活動の発展をめざして」

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33年間の発言と退出
執筆 : 
webmaster 2011-5-16 16:46

1990年 3月
自治体労働組合運動の前進と婦人部活動の発展をめざして

1990年自治労連発足にあたって

1、自治体婦人労働者・労働組合の戦う伝統の継承・発展を

−自治体労働組合運動の若干の歴史と婦人労働者のたたかいの特徴−

1)我国の労働者は戦前と戦後の一時期に階級的ナショナルセンターをもっていました。また戦後直後にはたたかう自治体産別をもっていました。しかし、戦前は天皇制絶対主義の下であり短期間で弾圧され、戦後直後と今日の社会・経済状況、労働者の状態とりわけ婦人労働者の状態とは、大きく変化していることを認識したうえでの、たたかう伝統を継承させるとともに発展させることこそもとめられています。

2)自治体労働組合運動の歴史

<戦後から1950年代――たたかいのはじまり――反動攻勢・組織分断――組織の再統一>

自治労連の結成

地方自治体の職場で戦後いちはやく労働組合の結成・再建にとりくんだのは、戦前の経験をもつ大都市の交通労働者でした。自治体労働組合の場合は、府県庁職員の労働組合−全国公共団体職員労働組合連合会(全公連−23万人1946年6月14日結成)と都市職員の労働組合を結集して日本都市職員労働組合同盟(都市同盟−7万人1946年11月20日結成)が結成されました。

戦後直後のインフレと食糧難のなかで飢餓突破、食える賃金をとのたたかい、2・1ゼネスト態勢のたたかいを経て、1947年5月3日の憲法施行、地方自治法の公布で都道府県職員も市町村職員も自治体労働者としての共通の基盤をもつことになり全公連と都市同盟は、47年11月10日我国最初の自治体労働者・労働組合の全国組織、日本自治団体労働組合総連合(自治労連−29万人)を結成しました。自治労連は組合員の政党支持の自由を保障するなど積極的方針をかかげました。

戦後の反動攻勢期

2・1ゼネストを権力でもって中止したアメリカ占領軍は2・1ゼネストの中心部隊となった公務員労働者に攻撃を集中しスト権剥奪、「行政整理」、定員法による大量首きり、「レッドパージ」の強行のなかで49年1月分裂組織である全日本自治団体労働組合協議会(自治労協)が旗揚げされました。さらには、アメリカ占領軍と独占資本の全面的支援による総評が結成されていきした。また、国家公務員法の改悪に次いで地方公務員法が制定され公務員労働者の労働三権を制限し民間労働者との分断攻撃が強められました。

地方財政危機と統一自治労の結成、住民共闘の追及

日本経済は、“朝鮮特需・軍拡ブーム”で大企業はよみがえりましたが、朝鮮戦争の終結で再び深刻な経済危機・不況にみまわれ、地方財政にも大きな影響をあたえ、危機が激化した52年には予算編成ができない自治体が続出し、全国で自治体労働者の大量首きりが計画され、政府も交付金の増額と引き換えに首きりをせまりました。

地方財政危機の増大化のなかで、自治体労働者には首きりと賃下げ、49年の人勧凍結、50、51年の人勧値切り、54年の人勧見送りの攻撃がつよまり、自治体労働者・労働組合は統一してたたかう機運がつよまり54年1月28日島根県松江市において統一大会が開催され25万人の自治労が結成されました。そして、自治労は「地方財政再建特別措置法」(55年12月公布)に基づく“赤字再建団体”指定の攻撃に直面し第4回大会(56年)に住民共闘の必要性を自覚し地方自治研究活動(自治研)を組織し全国集会を開くこととしました。

<1960年代――60年安保闘争、賃金闘争の高揚と統一戦線・行動に背を向けた総評・自治労の反共、特定政党支持路線の強化>

産業別組織としての機能を発揮し自治研活動、歴史的な安保・三池闘争と結合した賃金闘争、国際反戦デーと結び付けた公務員共闘の統一ストライキの実施など自治体労働者・労働組合の運動は大きく高揚しました。

しかし、一方では空前の賃金闘争をたたかい新たな発展をとげようとした「衛都連」に対する不当な除名(68年復帰)。特定政党支持の押し付けや共闘・共同闘争にも特定の考えをおしつける社会党・総評ブロックの統一戦線、統一行動に背を向けた方向は原水禁運動(1965年)はたらく婦人の中央集会(1964年)の分裂、母親大会実行委員会からの総評の一時期(1966・67年)の脱落など今日に続く弱点を内包していました。

<1960年後半から70年代前半の革新自治体建設と結び付いた自治体婦人労働者の権利前進>

1960年代のもう1つの特徴は当時20年近くの歴史をもつ京都蜷川民主府政に続き東京・沖縄における革新勢力の勝利、71年の大阪へ、そして全人口の半数ちかい住民が革新自治体の下で生活するというと地方政治革新の時代へとおおきなうねりを作り出して行ったことです。

自治体労働組合個々のたたかいの発展

自治労連時代は青年婦人対策部、自治労に組織統一してからも婦人部結成は1958年と産別としての婦人部組織の確立が他の産別組織にくらべ遅れていました。そのことは、自治体労働運動においては戦後直後の飛躍的な婦人労働者の権利拡大闘争や戦後第一の反動攻勢に抗して立ち上がった婦人労働者のたたかいをはじめ、50年代60年代前半の全国的な運動には個々の労働組合婦人部でのたたかいはあったものの産別としての婦人部機能の発揮は不充分であったといえます。そして、1960・61年の一時期を除き民主的婦人部長をもつことができませんでした。

しかし、革新自治体建設と結び付いた自治体労働組合婦人部活動は各地で大きな前進をとげ60年代の婦人の権利拡大の牽引車の役割をはたしました。さらに、婦人労働者の増大のなかで婦人の要求は「母性保護」から「育児要求」へと要求が多面化していきます。そのなかで「育児休暇要求」が大きくとりあげられ、自治体労働者のなかで「論争」が巻き起こりました。婦人の権利拡大において全国的なたたかいに初めて自治体婦人労働者が登場したといっても言い過ぎではありませんでした。自治労婦人部の特定政党支持路線と結び付いた運動の弱点とたたかいながら自覚的婦人労働者・婦人部は高度成長で自治体婦人労働者の増大、状況の変化に対応し1975年の国際婦人年、1985年までの国連婦人の10年へと婦人部運動を発展させていきます。

<1970年代後半――世界的不況と地方財政危機の下での革新自治体つぶしと自治体労働者に対する攻撃の激化−民主的自治体労働者論の提起>

世界的不況のなかでの自治体労働者にたいする攻撃の強まり

オイルショク・ドルショクという世界経済の危機のもとで日本経済は低成長時代に入ったものの、資本・財界の労働組合の取り込み作戦のなか独占資本はぼろ儲けを維持します。しかし、一方では失業者の増大、中小企業の倒産と日本経済の不況は地方財政を20年ぶりに深刻な状態に追い込みました。そして、地方財政危機をテコとして自治体労働者への人件費攻撃、革新自治体つぶしの攻撃が強められていきます。

こうした反動攻勢の下で、1975年3月日本共産党は「住民本位の行政を効率的な機構で−地方自治体の人件費問題その他をめぐる日本共産党の見解」を発表しました。しかし、自治労指導部はこの「見解」を革新政党の「提言」として真剣にうけとめ、深く検討するという態度をとるのでなくその根深い反共主義から、これに反発し運動の新しい方向を探求するという態度をとりませんでした。

春闘連敗のはじまり

74春闘は異常なまでものインフレと不況の同時進行のなかで社共を中心に労組・民主団体が「インフレ反対・国民生活防衛の国民会議」を結成し、全国民的なたたかいのなかで史上最高の30%・3万円を越える賃上げを獲得しました。この74春闘の教訓にたって、春闘を真に国民春闘として発展・強化させることがより鮮明となりました。

しかし、一方では日経連が「大幅賃上げのゆくえ検討委員会」を設置し「賃上げのガイドライン」を示すなど、独占資本と自民党政府は強力な春闘対策の布陣を敷いてきました。こうしたなかで、公務員労働者の賃金闘争やストライキ権の回復についても人事院勧告制度打破を展望し国民的な共闘の発展のなかで、政府の公務員労働者に対する底賃金政策やストライキ禁止の不当性を明らかにしたたたかいが重要であることが、この時期にたたかわれた「公労協」のスト権ストの教訓や自治体労働者の賃金確定における賃金抑制攻撃のなかで実践的に明らかにされました。

ところが、自治労は画一的なストライキ論に固執し、かたくなな賃金闘争方針を打ち出し、総評は独占資本の強固な春闘対策の壁を突破出来ないなかで同盟主導の労働4団体共闘に傾斜していき春闘連敗のドロ沼に入り込んでいきました。

<国際婦人年−国連婦人年の10年のたたかいのなかで自治体婦人労働者・婦人部運動の新たな発展>

婦人労働者への新たなる攻撃と運動の発展

婦人労働者の切実な要求実現のエネルギーにたいし、独占資本と自民党政府は執拗な攻撃をかけてきました。

労働基準法は1947年の制定以降一貫して「資本側の改悪要求」にさらされてきたといえます。公務員労働者からスト権を奪い1948年には国家公務員法の改悪、1950年には地方公務員法の制定で国家公務員を労基法の大部分から適用除外、地方公務員も部分的に適用除外し労働基準法の適用において労働者の分断をおこなったのです。

一方では施行規則の改悪で労働基準監督署への届け出義務をもなくし労働者の権利取得情況を労働行政の監督外に押しやってしまうのです。そして、朝鮮戦争による「特需」をきっかけに「復活」した独占資本は1951年には「労働基準法の改正に関する要望」(日経連)を政府に突き付け1952年「時間外労働、深夜業の制限緩和」が強行されました。まさに戦後第一次の反動攻勢期だったのです。

その後も1955年の日本生産性本部の発足、1969年の労働基準法研究会の設置、1970年東京商工会議所の「労働基準法に関する意見」、1970年代相次ぐ「労基研報告」さらには、事業所の増大とは逆行する労働基準監督官の削減、労働省通達による規制緩和など「運用による改悪」と労働基準法の全面改悪への準備が同時に着々と進められていきました。

そして、戦後第2の反動攻勢期といわれた「戦後政治の総決算路線」の攻撃のなかで健保・年金の改悪、労働者派遣法の制定(職業安定法の改悪)等とともに労基法が「均等法」とセットで改悪が強行されていくのです。
政府・財界の「労働法制改悪」の本音は1982年にだされた関西経営者協会の「労働基準法の改正にかんする意見」に見事にあらわれていました。

「意見書」は労働行政の規制緩和を求め、「労使自治」の強調などまさに労働戦線の右傾化を横に見ながら資本の意図を貫徹しようとするものでした。

婦人の課題でいえば、独占資本と自民党政府は1970年の「東京商工会議所の意見」では『女子過保護論』を展開し、1975年の国際婦人年を経た1978年の「労基研報告」では『保護か平等の二者択一論』をだし、「均等法」では『平等実現のためには保護の切り捨て』と婦人労働者のたたかいに対応した執拗な攻撃をすすめてきたのです。

「均等法案」にたいするたたかいは、「実効ある男女雇用平等法制定」という新たな法制度の要求と「労基法改悪反対」という制度改悪反対に取り組むという、過去に婦人労働者が経験したことのない運動であり、統一労組懇婦人連絡会を中心にした自覚的・階級的勢力が既存のナショナルセンターを乗り越え、全国的闘争を組織するという面においても近年希にみるたたかいでした。

1960年代後半から運動を発展させて来た自治体婦人労働者は、男女平等要求のたたかいにおいても全国的たたかいの先頭にたって奮闘しました。1984年4月14日の中央決起集会をはじめ地方段階での共闘組織でも中心的役割をはたしました。

世界の婦人運動と呼応した婦人部自治研活動という新たな視点

1975年の国際婦人年それに続く国連婦人の10年の国際的婦人運動のなかで『世界行動計画』(1975年)『後半期プログラム』(1980年)『2000年にむけての将来戦略』(1985年)が世界婦人会議で策定されました。これらの文書は世界の婦人のたたかい、運動を反映しており「婦人が創くりだした今世紀最高のガイドライン」といわれる内容をもっていました。

これらの計画・戦略は第一義的には各国政府にむけられたものですが、自治体をふくむ公的機関においてもその実行がもとめられており、都道府県を中心に自治体行動計画の策定も始まりました。まさに、「婦人の地位向上にむけて自治体行政の果すべき役割」が問われたのでした。

そして、このことは職能的自治研の域を出なかった「自治研活動」に『婦人の視点』を提起するに至りました。革新自治体や自覚的・階級的自治体婦人労働者は世界の婦人運動と呼応して「自治体行動計画」の策定にむけ「婦人部自治研」を展開していきました。

同時にこの時期は「戦後政治の総決算路線」に基づく第2次臨調の設置で臨調行革攻撃の嵐が吹き荒れました。「軍拡・臨調」が国際婦人年の目標である「平等・発展・平和」とは相入れない政策であることをこの運動は明らかにしていきました。

この取り組みは一部の都道府県職労と政令都市職労にとどまっていますが、自治体労働運動の婦人部活動の新たな分野として発展させていくことがもとめられています。

まさに、1954年の地方財政危機で自治体労働者が住民との共闘に足を踏み出し、60年代の賃金闘争、そして革新自治体建設と地方財政危機のなかでの自治体労働者は民主的自治体労働者論を発展させていきます。

さらに、戦後第2の反動攻勢によるあらゆる制度改悪と臨調地方「行革」攻撃の嵐に直面した自治体婦人労働者は自治体労働組合運動、婦人部活動の原点や可能性を追及し運動を発展させてきました。

<労働戦線の右傾化に反対、男女平等をかかげて運動した――全国交流集会の10年>
 
自治体にはたらく全国婦人の交流集会は労働戦線の右傾化が進行した、1980年に京都で第1回を開催しました。全国交流集会は「経験の交流から要求実現のための政策の提起」「全国統一闘争の経験−政策的優位から組織的優位へ」「交流・学習から恒常的連絡組織の確立、共同闘争の発展へ」と情勢と婦人労働者が要求する内容と発展していきました。

2、歴史の教訓から学もの

以上概略的に、年代を区切って自治体婦人労働者・労働組合の歴史の特徴をふりかえりました。(上記のほかに自治体婦人労働者のたたかいは数多くあることを強調しておきます。)

今日、全労連が結成された下で、自治体労働組合運動の分野においても、協議体産別から連合体産別組織への移行・発展を勝ち取りました。

自治体婦人労働者と労働組合が歴史の教訓から学び弱点を克服し、伝統を継承・発展させる課題はなになのかを明らかにしていくことがもとめられています。

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