1994年8月 育児休業と賃金保障 「労働の中断」における労働者の賃金とかかわって

33年間の発言と退出 - 1994年8月 育児休業と賃金保障 「労働の中断」における労働者の賃金とかかわって

1994年8月 育児休業と賃金保障 「労働の中断」における労働者の賃金とかかわって

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33年間の発言と退出
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webmaster 2011-6-2 9:48

1994年8月
育児休業と賃金保障
「労働の中断」における労働者の賃金とかかわって


(労働運動1994年8月号)

はじめに

婦人少年問題審議会は1993年9月27日、「育児休業取得者にたいする経済援助のあり方」とする「建議」を労働大臣宛に提出した。

12月1日には中央職業安定審議会専門委員会雇用保険部会が、「職業生活の円滑な継続を援助するための給付」について高年齢雇用継続給付とともに育児休業給付を行うとの報告を出した。

これらを受けて政府は、1994年4月から25%の「雇用保険」による「育児休業給付」の方向をうちだした。これは1992年4月に育児休業法が施行されたものの、民間と公務員とは別の法律となり、民間の場合は育児休業取得者にたいしての給与の取り扱いが法には明記されておらず、育児休業の取得がしにくく、また希望通りの期間が取得できずにいる実態があるなかで、「育児休業制度は子を養育する労働者の雇用の継続を促進すること等を目的とし、労働者の雇用の安定や将来のキャリア形成の促進を図ることを重視した制度であり、育児休業取得者に何らかの経済援助が行われることはこの制度の趣旨・目的を一層活かすという観点からも望ましいことである」(婦少審議会)との考えから打ち出されたものである。

しかし、ここには、「雇用保険」での給付をいいながら雇用保険法弟1条にいう「労働者の生活の安定・・・」という理念は欠落しており、また「経済的援助を個々の事業主の責任として法律で一律義務づけるのは適当でなく・・・」(婦少審建議)というように、使用者責任の免罪をもしている。このように、育児休業の取得者に「経済援助」という名目で、雇用保険による「給付」をおこなうという政府の「新たな方策」にたいして、労働者・労働組合はどのように対処していくのか。

 本来「育児休業」とは、労働の継続を前提とした「労働の中断」である。「労働の中断」にたいする賃金保障要求にたいして、これまで労働者と労働組合は賃金闘争の重要な一環としてたたかってきた。

 その立場からこの間題をみれば、賃金闘争に新たな理論的、運動的整理の必要が突き付けられているのではないだろうか。

【1】育児休暇要求の20数年間の闘いの経過

 高度経済成長に伴う女性労働者の急激な増加のなかで、1960年代後半からはたらく女性の「育児要求」はより切実なものとなっていった。そして労働者・労働組合は様ざまな討論を経て「育児休暇3原則」(選択制・有給・原職復帰)を確立し運動を展開していった。

1975年の3職種適用の育児休業法がもたらしたもの

1975年の公務員3職種(保母・看護婦・教員)適用の、「育児休業法」は、労働者のたたかいのなか、国際婦人年の世界会議に間に合わせるために「政治的」に議員立法として成立した経緯がある。

また、一方でこの間特定政党支持路線をとっていた総評の「組織内候補」との連携から、社会党が1974年まで「教員の育児休暇法」を国会に提出し続けていたという経過をも反映したものともいえる。
こうしたことともあいまって、公務員の賃金制度における退職手当、昇給の取り扱いが、育児休業の場合には他の制度との整合性に欠ける点か多くなっている。

さらに、育児は全労働者にかかわる課題でありながら、「人材確保法」として、労働基本法である労基法ではなく、別の法律をつくったり適用範囲を限定するという手法を用いた上、内容においては、第1には、労基法のように最低基準でなく最高基準であったこと。第2には、罰則規定がないこと。第3に、賃金面での取り扱いが他の制度に比べ不当な扱いがなされていたこと。第4は、公務員と民間の分断が強行されたこと。第5は、公務員のなかでも職種による分断がなされたこと。など、3原則要求以外にも基本的問題を内包しており、後のたたかいに重大な影響を与えるものであった。

ところが労働組合運動のなかでは、法成立後の運動も多くは婦人部まかせであり、こうした基本的課題にたいするたたかいは全面的に組織されず、職種拡大(全労働者適用)が中心課題となり、単組レベルにおいても一時金の不合理是正などを要求としてかかげていた労働組合はごく一部であったといえよう。

1976年から1992年の全労働者適用の育児休業法成立まで

公務員3職種適用の育児休業法律制定をうけ、地方公務員労働者は自治体での制度化が必要となり、各自治体でのたたかいのなかで職種の拡大、全職種適用など自治省の執拗な攻撃のなかにあっても権利拡大のたたかいを進めてきた。

また、民間においても一定のとりくみがあったものの「育児休暇」の制度化は全事業所の20%に到達しなかった。しかし、法律の枠組みがないなかで民間における制度の内容は有給を勝ち取っているところもあり、その状況は様ざまであった。

そして、1985年の「均等法」の成立、一方で労基法女子関係の改悪がなされるなど、女性労働者のはたらく環境の悪化のなか、1・53ショックという少子産社会の到来、さらには参議院での「保革逆転現象」など様ざまな社会・政治状況の変化のなかで、1992年に全労働者適用の「育児休業法」が成立した。

しかし、法制定の手法は「公務員3職種育児休業法」と変わらず、民間、公務員を別の法律とし、さらには大企業と中小企業の分断、公務員のなかでの国家公務員と地方公務員の分断、そのうえ公務員の3職種にあっては「育児休業給」の支給で男女の分断が強行されるなど徹底した分断が強化された。

また、この法律では前述したように、民間では賃金の取り扱いを明記しておらず、一方の公務員法では無給が明記(3職種の女子のみわずかな育児休業給支給)されているというように、労働者の休業中の賃金保障を全く無視したものであった。

「連合」の発足と労資一体化の路線の強化

一方で「連合」はどのような制度要求をかかげているのか。「連合」は、1989年に発足したが、その前身である政策推進労組会議(1981年)時代から「育児休業」要求をかかげできでいる。その要求を経過的に整理すると次のようになる。

(1) 政策推進労組会議時代(1981年〜82年)は「育児休業手当金」(社金保険料の掛け金相当分を事業主が支払い、その後政府が事業主に還元する。ただし労働協約等により賃金が支払われることを妨げない)としている。

(2) 全民労協時代(1983年〜86年)は育児休業の法制化をかかげながら、前半の83〜84年の社会保険料に相当する「休業手当」の要求をかかげたものの、1985〜86年は「手当要求」をせず、「社会保険料」の優遇措置を要求としてきた。

(3) 全民労連(1987年〜89年)と「連合」(1990年〜)時代になって、4野党の「育児休業法案」の実現をめざすとして「全労働者負担を含む基金による休業手当の支給」を打ち出した。

(4) そして「連合」に移行して3年目、「育児休業法」が成立した後の1993年には「雇用保険」による「休業給付」を政策・制度要求としてかかげたのである。

このように、(1)手当プラス賃金要求から (2)社会保険料相当額の手当要求、そして社会保険料の優遇措置要求、法制定の具体化が浮上すると (3)法制化の中身としての労働者負担の所得保障要求を掲げたものの、育児休業法が成立してしまうと、使用者責任免罪の「休業給付」と限りなく要求を低めていく、「連合」の労資一体の本質を見逃すことはできないと考える。

【2】育児休暇要求の闘いの到達と今日的課題

選択制という「育児休暇要求」独特の権利にたいする考え方を今日時点でどうみるか

「選択制」は「育児休暇要求」独特の権利にたいする考え方である。なぜなら「育児休暇」を取らなくとも、保育所への入所や家族や知人による保育など他の選択肢があるからである。この「選択制」が賃金要求にあたって重要な意味をもっている。

しかし、この育児休暇要求の3原則を確立した1960年代後半から今日現在30年が経過している。また、国際的にも1975年の国際婦人年をへて、「婦人にたいするあらゆる形態の差別撤廃条約」(1979年採択)や、ILOの「家族的責任条約」(1981年改定)など育児や出産にたいする社金的責任が強く求められてきている。そしてわが国では、育児以前の「出産」自身がDINKS(ディンクス)に象徴されるように幅広い選択のなかにある。こうした点から育児要求は「選択」だから、「育児休業」を選択せず高い保育科を支払っている労働者との関連で、賃金保障は低くても止むを得ないとする考えがあるならば、それは今日の時点では再検討の必要があるのではないか。

保育所運動との結合の点で

1975年の「育児休業法」制定当時、またそれ以前の「育児休暇要求の原則」確立時点では、保育運動が労働組合婦人部の重要課題であった。ところがその運動の結果保育所が増設されるなかで、保育労働者の増加ともあいまって、保育労働者の職能運動が活発となり、保育運動は保育労働者と父母の運動として大きく発展していった。その一方で、はたらく母親(父親)の組織された部隊としての労働組合の運動としての取り組みが、保育運動のなかで相対的に比重が低下するという現象に直面していったのではないだろうか。そうした点から、保育所運動と「育児休暇」闘争が運動として統一的に組織されることがすくなくなったといえるのではないか。

一方、「臨調・行革」による福祉切り捨て攻撃のなかでの「保育料の引き上げ」、低成長下でもあくなき利潤を追求し続ける日本の独占資本による、婦人労働者への労基法改悪をはじめとする「権利」への攻撃は強化され、労働戦線の右翼再編がすすむなか、「臨調・行革」や「労基法改悪」にたいし、今日の「連合」に代表される右翼潮流は、この攻撃と対決せず、労働戦線全体としては有効で統一的な反撃が全国的に組織されたとはいいがたい。

はたらく婦人の権利意識にたいするイデオロギー攻撃として「育児休業法」が与えた影響

「育児休業法」は先にも触れたように、さまざまな要因があったとしても「労働者の病気やケガ」などの「労働の中断」からみると「賃金面」では異常な水準におかれていることは明らかである。「権利性」という点でも労基法のような罰則規定がないこと、また、育児には選択肢がいくつかあるという現状のもとで、出産者全員が「育児休業」を取得しないという状況もあるなかで、「代替が確保」できないから取得できないといった現状も存在している。こうしたなかで「取得者」には無給で当たり前としたイデオロギー攻撃が、労働者の一定の部分にも潜在化していったといえるのではないか。

【3】 育児という社会的責任の遂行における労働の中断にたいするも賃金のあり方について

有給要求の正当性

1992年の「育児休業法」の制定は内容に不十分性をもっていても、育児が男性も含め社会的責任であることを確認するうえでの一歩前進であったといえる。しかし、さらに社会的責任である「育児による労働の中断」にたいして社会保障憲章(1961年第5回世界労連大会で採択)のいう「権利性」「包括性」「必要十分性」の原則からいっても労働者が引き続き正常な生活と子どもの養育ができる手段を、国と使用者の責任において保障されるべきであることは、賃金で生活している労働者にとって憲法25条の理念からいっても当然のことといえる。

ところが、育児休業法では休業中の給与の取り扱いについて一切の記述がない。それどころか「公務員の育児休業法」では第4条の2項でわざわざ無給を明記し、「有給」の労使合意に自治省が自治体にたいして圧力や介入を行う事態さえ招いている。これは基本法である労働基準法第1条2項で、労働条件の決定にあたっては、(1)法基準を理由として労働条件を低下させてはならない。(2)労使双方は労働条件の向上に努めなければならない。とした原則を全く無視したやり方である。労働組合はこれまで、労働者の生活と権利を守る立場から、労働者の病気やケガによる労働の中断にたいしての給与の取り扱いや、また、長期療養を必要とする疾病にたいして、賃金や休業手当金などの支給を勝ち取ってきた。この到達から見るならば、今回の「経済援助」という概念は、有給や手当でもなければ「所得保障」でもなく、「労働の中断」における生活の保障とは大きくかけはなれた「経済的援助」という形での低賃金政策として持ち込まれたものである。労働者・労働組合の今日までの「賃金闘争」にたいする新たな攻撃としての危険性をはらんでいると考える。

「所得保障」の水準について

現行の失業給付や労働の中断にたいする休業給付の水準は期間は様ざまであっても、給与の60%が最低到達となっている。ところが今回は「経済的援助」という形で、25%という生活維持にはほど遠い数字を示してきている。まさに、今回の「建議」の経済的援助のもつ意味がこの数字に示されているといえる。

民間の実態は様ざまであるが、公務員の賃金制度においては、「労働の中断」における賃金保障の水準は最低で100分の60であり、最高は結核療養で賃金は100%で期間も最高は3年間となっている。しかも一時金にあっては多くの場合支給され、退職金や昇給換算期間も最低でも2分の1となっている(大阪府の場合)。

「労働の中断」としてあげられているものとしては病気、結核療養、公務災害、刑事休職、私事都合の欠勤、地公法に基づく処分などのケースがあるが、こうした様々な「労働の中断」の事由と比較して「育児」による「労働の中断」が低い水準におかれる理由は見いだしがたい。「育児要求」(保育所、親族による保育、育児休暇)のなかでの狭い比較でなく、労働者全体の「様々な労働の中断」と、そして「育児」のもつ社会的責任、さらには「はたらく権利としての社会参加」の点での賃金要求の水準を論議すべきと考える。

社会保険料免除の要求について

次に「所得保障」の一部として、労働者の負担となっている社会保険料を含めるという考え方が最近浮上してきており、育児休業中の社会保険料免除という要求にあらわれている、これは社会保険料が免除されれば「所得保障」は100分の60より低くて良いとするものである。理論上の問題として、こうした要求の立て方が労働組合運動に今日まで存在していたのだろうか。これは使用者が労働者に賃金を支払い、労働者はそこから社会保険料を納付するというシステムからいえば、結局のところ使用者責任を免罪する要求であるといえないか。

また、社会保険料の免除要求が労働者・労働組合の要求として正当性をもつのかという点である。

年金や健康保険料の「免除」が年金の給付額にどう影響するかの細部は法案が作成されておらず明らかにされていないが、今日までの制度では年金についていえば「免除期間」は年金額の算定から3分の1が除算されている。「財源」の問題からしても「数がすくないから」ということでは解消されるものではなく、労働者の負担軽減は「免除」ではなく、使用者と労働者の負担割合を現行の5対5を「7対3」にする要求や国庫負担の増などの全労働者課題として取り組むべきであると考える。

【4】 労働者負担と雇用保険法にもとづく給付について

冒頭にあげた婦人少年問題審議会の「建議」は、まず使用者責任を免罪し、行政事情や育児休業が任意的、選択的であることを挙げて雇用保険制度の枠組みで行うことを妥当だとしている。

ちなみに雇用保険には、労働者負担のある失業給付と労働者負担のない雇用安定事業などの施策に分かれている。

「失業」した場合の「労働者の生活の安定」や「求職活動の促進」を目的とする雇用保険法からするならば、今回の「建議」や「中央職業安定審議会報告」の内容は現行の雇用保険法に「身分が確保されている」育児休業取得者を「むりやり押し込んだ」だけでなく、今後の労働者の賃金闘争や、社会保障闘争に重大な影響を与えるものといえる。

さらに、雇用保険法の適用されない公務員労働者と民間労働者との新たな分断策といわざるを得ない。さらに婦人少年問題審議会の労働者委員である「連合」は、育児休業法の制定の際には労働者負担による基金制度で60%の「育児休業手当金」の支給を主張していた。

ところが自らの主張である60%の「育児休業手当金」の主張をかなぐり捨て、労働者負担がある雇用保険の「失業給付」のなかでの「育児休業給付」を押しすすめ、「経済援助」にのめり込んでいった「連合」の姿勢は、要求を低めて限りなく資本に迎合していく「連合」の本質が、育児休業制度においても暴露されたことを物語っている。

【5】 今後予想される家族・看護体暇の法制化とのかかわりについて

自治大臣は2月21日に地法公務員共済審議会に地方公務員共済組合法の「改正案」を諮問した。その内容の1つに育児休業中の共済掛け金の免除規定がある。

また一方で、人事院が雇用保険法を適用されない国家公務員の取り扱いについて、「民間準拠」をたてまえに国家公務員労働者にたいする「経済援助」の方向として、中央職業安定審議会の報告と同程度の「経済援助」をすべきとの考えを明らかにしたと報じられ、国家公務員共済からの給付の方法があるともいっている。しかし、人事院が、公務員の育児休業法に3職種の女子のみという分断策で明記している「育児休業給」の拡充を打ち出していないところに重大な意味がある。

人事院は1993年の人事院勧告(8月3日)で「介護休暇の必要性」を打ち出したものの、併せて無給をも勧告しており、公務員制度のなかに無給の「休暇」という新たな概念を持ち込んできた(これまで国家公務員の労働条件の規定である人事院規則では休暇は有給を前提としてきた)。こうした動きをみれば、育児休業中の「経済援助」は、家族看護休暇制度にも大きな影響を与えることは必至である。地方公務員の場合、多くの自治体で家族看護欠勤制度を実現させ、地方公務員共済の法定給付である休業手当金での給与の60%の給付が行われている。

しかし、今回の育児休業中の「経済援助」によって、雇用保険の適用されない公務員の場合、民間の健康保険に相当する「共済短期からの給付」として、育児休業は25%、「介護休暇」は50%(国家公務員共済)となれば、それは低位水準化への攻撃としての重大な意味をもっているといえる。

【6】 いまこそ「労働の中断」における所得保障のあり方の徹底した論議を

このように「育児休業中の経済援助問題」については、自民党よりも悪政を強行する「連立内閣」と、各種審議会に「労働者代表として唯一参加している『連合』」との共同歩調によって、「あっという間」に「経済的援助」という休業給付が強行されようとしているのである。

今こそ労働者・労働組合には、「労働の中断における賃金要求」と「社会保障」要求のあり方について、徹底した討論と政策的整理が求められているのではなかろうか。

(なかい たづこ・大阪自治労連副委員長)

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