労働組合運動における、婦人部活動の強化とその位置付けは、階級的ナショナル・センター、たたかう自治体産別−自治労連の確立により、大きく発展していく基盤がつくりだされたといえます。
しかし、それは目的意識的な日常不断の女性労働者のたたかいがあってこそ築かれるものです。
1つに、日本の女性労働者は、賃金格差に端的にあらわれている平等要求、社会環境整備の遅れからくる家族的責任の重責、自治体リストラ、「合理化」攻撃による極端な母性と健康の破壊の強まりなど、日本独特の歴史的、社会的、経済的状況の下におかれています。こうした中で、労働組合婦人部の運動の方向は、女性労働者の職場や生活にねざした要求を自らの手で実現していかなければならない実態や、「婦人部の独自要求」といわれるものが数多く存在しています。
2つ目には、女性の要求にねざした、たたかう民主的エネルギーは、平和、民主主義をねがう日本の民主運動の一翼を担って大きく前進してきた歴史的事実です。
婦人の切実な要求は、女性自らのたたかいとともに労働組合運動の前進、革新統一戦線の発展など民主運動の大きな前進のなかでこそ根本的解決がなされるという社会的・政治的状況が存在しています。
3つ目は、「連合」との熾烈な組織戦の結果、多くの単組で組合員の過半数を超える女性組合員が存在しているのに、労働組合の活動スタイルは全く変わらないといったことや、役員のなかでの女性の構成比率が極端に低いなど古い組合体質が残されています。こうした労働組合運動への女性の参画の課題は2つめ課題とも関連して重要な問題として存在しています。
4つ目は非正規労働者の増大、能力・成果主義賃金の導入による競争の激化など労働力流動化政策は、賃金破壊、雇用破壊を進行させ、構造改革による社会保障制度の解体など反動攻勢の労働者への全面的攻撃が強まる下、女性労働者の要求は切実化し、女性のたたかうエネルギーを全労働者の課題やたたかいと有機的に結合していかなければならない状況が以前より増して重要になってきています。こうした課題を組織的に推進していく上で 「婦人部とは」という組織・運動論が歴史的にも、今日的にも論議される必要があります。
歴史的には戦前の評議会における婦人部論争があり、戦後は産別会議の議長組合であり運動の中心部隊でもあった全逓における画期的婦人部の位置づけ。そして戦後反動攻勢期にのGHQによる婦人部、青年部の2重権行使論の形式民主主義を盾にした婦人部・青年部の解体攻撃、そして今日の右翼的労働組合の状況があります。
戦前の1926年評議会において婦人部論争がおこなわれ評議会婦人部が結成されています。この時も友愛会でなく階級的潮流であった評議会において婦人部論争を経て婦人部が確立したことは重要な意味をもっているといえます。
こうした戦前の運動論は戦後の労働組合運動にひきつがれ、多くの労働組合に婦人部が確立され青年部とともに2・1ゼネストをはじめとした戦後初期の労働運動に大きな力を発揮し、労働基準法制定以前に産休16週や生休毎潮時3日の獲得など婦人労働者の切実な要求実現に奮闘しまました。産別会議の議長組合であり運動の中心部隊でもあった全逓が1946年の結成当時の規約では、他の専門部と同じ位置付けとしていた婦人部と青年部を2・1ゼネストのたたかいを経た1947年6月の規約改正において、婦人部と青年部を特殊な部門として他の専門部と同列視せず「婦人部は自主的運動をもつて婦人の特質をいかし組合運動強化の推進力となることを目的とする」と規定しています。そして婦人部長、副部長をふくめ3名を部の推薦により中央執行委員とすることも明記し婦人部総体としての意見反映を保障する措置をとっていたのです。
わたしたち自治体労働組合運動の分野に目をむければ、自治体労働組合運動の階級的潮流であった自治労連時代にさかのぼってみてもこうした状況にはなっていなかったといえるのではないでしょうか。
2年たらずの産別会議のたたかいがGHQの指令で結成された総評にひきつがれるはずもなく、そして、その後もナショナルセンターレベルや自治体労働組合運動においても全国的に労働組合運動における婦人部の位置付けについて統一的な論議がおこなわれなかったなかで、現在のそれぞれの実態があるのもやむをえない事実です。
婦人部の位置付けが不十分なのを男性幹部の責任であるとする発想や婦人部にその責任をおしつけようとする論は議論の発展がありません。それは、歴史的たたかいの反映であり階級的NCや産別組織をもつことができなかった不幸であり、不十分な部分に率直に目をむけそれを変革していくことこそもとめられているのではないでしょうか。
戦前・戦後を通じ反動勢力と労働組合の右翼的潮流はたたかう労働者・労働組合を弾圧してきました。とりわけ戦後の民主化のなかで高揚した労働組合運動にたいして2・1ゼネストを弾圧し、公務員のストライキ権の剥奪、レッド・パージを実施したアメリカ占領軍は労働組合運動の推進力であった青年部・婦人部にたいし「二重権行使論」の『形式民主主義』を打ち出し多くの労働組合で婦人部が解散されていきました。 ところが総評や同盟においては婦人部対策部といった組織形態による婦人部の形骸化も一方ですすめられたのも大きな特徴といえます。
そして今日の右翼的労働組合の状況。「連合」が発足して6年を経過しようとしている現在も連合が婦人部大会を開催したという話しは聞きません。
こうした動きのなかにあっても女性労働者は切実な要求実現にむけてその基礎となる婦人部を確立していきます。これはそれぞれの組織において自然発生的に生まれたのではなく戦後の反動攻勢に抗して立ち上がった女性の様々な民主的運動−母親大会、はたらく婦人の中央集会のとりくみのなかで女性労働者の交流や学習がふかめられたこともおおきな影響を与えたといえるでしょう。
ところが婦人部の活動や組織形態、労働組合における位置付けは産業別にも組織毎にも違いがあるのが現状です。これは既存のナショナルセンターにおいて婦人部の位置付けがないがしろにされている傾向のもとでナショナルセンターとして論議や交流がされなかったことに起因したと言わざるを得ません。
しかし、一方で画一的でなく自覚的勢力を中心に活発な婦人部活動が発展してきた面も見ておかなければならないのではないでしょうか。
☆実践経験から
・民主的労働組合のなかでの形式民主主義の横行
・社会党一党支持のもとでの民主的婦人部活動の展開と限界
・民主的労働組合のもとでの婦人部活動の全面的展開
☆婦人部の位置付けをあきらかにする1つ指標
・婦人部長の執行委員会への参加
全面的保障 2割
条件付保障 4割
保障せず 4割
(自治体にはたらく全国婦人交流集会−大阪集会での調査から1986年)
自治体にはたらく婦人労働者は住民に1番近い部署で仕事をし、まさに、自治体労働者論を実践してきた部隊です。60年代後半から70年代の自治体にはたらく女性労働者の権利の向上と運動の前進は、革新自治体建設という、住民要求と自治体労働者の要求と運動の統一のなかで勝ち取られたものです。
そして、国際婦人年のとりくみでは、自らの権利や地位向上だけでなく地域婦人の地位向上にむけて婦人部自治研活動という新たな分野をきりひらいてきました。
こうした、自治体労働組合における婦人部運動の前進は、80年代の「均等法」のたたかいで、国会史上まれにみる運動を展開し既存のナショナルセンターがたたかわないもとで全国統一闘争を組織し、要求に基づく実践のなかで労働戦線問題を婦人労働者のまえに明らかにするおおきな運動を組織する力となっていきました。 また、戦後の民主的婦人運動の潮流である母親運動など幅広い婦人との連帯を脈々といきづかせ地域でその中心部隊として奮闘してきたことも留意しておかなければなりません。
この女性のたたかうエネルギーを恐れているのは政府・財界であることは、日経連弘報部の「左翼運動の実態」(1986年)にも明らかです。女性のたたかうエネルギーを組織的に位置づければ、女性はその力をいかんなく発揮することは明らかです。
労働組合婦人部論を論じるとき「女性労働者の切実な要求」実現のために作られた組織であり、労働組合であるからこそ『要求』から出発しなければなりません。
女性労働者は先にも述べたとおり歴史的・社会・的経済的状況から様々な攻撃や抑圧、差別をうけています。これは女性労働者が「母性」をもっていることに起因するものであることはあきらかです。そこからくる「婦人部の独自要求」と女性労働者は労働者全体がうける攻撃や抑圧にもさらされているもとでの男性と共通するものの、女性が現状の社会条件のもとでより切実にあらわれる女性労働者の要求が存在します。
婦人部活動の現状をとらえて「婦人部活動の在り方」という面で論評を加えると正確でないように思われます。なぜならその婦人部の“基本組織−親組合”が基本的な部分でどのような方針を掲げてたたかいを進めているのかとも大きくかかわる問題だからです。そこで「婦人部活動の現状」は基本組織とのかかわりで様々な状況を呈しています。しかし、ここでは基本組織も階級的で民主的な労働組合である場合を論じてみます。
2つの方向とは、「婦人部は婦人の独自要求だけを取り上げ運動すべき」という考えと「独自要求だけでなく婦人のかかえているすべての要求に対応した運動を」というものです。
この現象は婦人部の活動領域の問題としてとらえるのではなく婦人の独自要求の性格と婦人部運動の視点としてとらえることによって統一がみいだせる問題ではないでしょうか。
婦人の独自要求とは婦人労働者の母性そのものを保護する「母性保護要求」と母性をもっているがゆえに差別・抑圧されている現状を打破する差別反対、平等実現の要求をいうのであって婦人労働者がかかえている全労働者と共通する総ての要求をさすものではありません。
しかし、今日の社会的・経済的状況から家族的責任など男女共通する要求・課題であっても婦人労働者により切実な問題として現れる現状から婦人部が独自に運動やたたかいを構築しなければならない過渡的課題も存在しています。
婦人の独自要求は民主的性格をもってます。これは、婦人労働者のおかれている現状からくる必然性でもあるわけです。婦人の要求を根本的に解決するには資本の搾取を強化し体制を維持するためにかけてきている攻撃や抑圧をはねかえすことで解決するものであって資本や政府に迎合して解決するものではありません。
このことから男性労働者の要求と同じ性格をもつものであることから、平和、賃金要求など全労働者要求にも婦人部は積極的に取り組むべきであるとする運動方向が強調される傾向があるのではないでしょうか。
これは、婦人の独自要求とのかかわり−婦人の独自要求を解決するためにも全労働者課題との結合や婦人にかけられている攻撃の根源、本質に迫って行く問題として論じられず男性労働者との対比で婦人労働者を労働組合の一般的課題への結集を婦人部まかせにしてしまう安易な運動論といわざるをえません。
こうした傾向は、婦人労働者の切実な要求を全面にかかげ婦人労働者のたたかうエネルギーを引き出し要求を阻んでいる根源に対してたたかいをすすめそのなかで全労働者と共通するたたかいに発展させていく婦人部本来の活動を萎縮させるものではないでしょうか。
「婦人部の任務」が全面的に展開されていればこうした「論議」も起こる余地がないといえるものの「婦人部が全面発達」している婦人部はまだ希であり、もしそういう婦人部が存在していたとしても「婦人部総体」の運動と婦人労働者個々を労働組合の一般的課題に結集させる任務の区別と関連を正しくとらえた基本組織の指導性こそ求められているのではないでしょうか。
婦人労働者は「失うものがないから」「ねばり強い」などと形容されるこの「たたかうエネルギー」を引き出すことができているのは婦人労働者が抱えているすべての要求・課題で組織できているものではありません。「要求が具体的」で解かりやすいたたかいを展開できたときにこそ「婦人のたたかうエネルギー」が発揮されている現実を正しくみつめることも大事なことです。
婦人労働者は賢明です「具体的で切実な要求」の実現を阻んでいる根源は何なのか、たたかいのなかでこそそこに到達するから「婦人は強い」のです。 まさに、労働組合運動における婦人部は日本独自の組織形態であるとの認識から出発し現状に即した運動がもとめられており、画1的な規定や他の専門部と同じ位置付けで労働組合の一般課題すべてに婦人部が対応しなければならないとする主張は婦人部活動の視点に目をむけず「当面する課題」に目をうばわれがちな拙速な論であるといわざるをえません。
歴史的にみても何故反動勢力や右翼的労働組合が労働組合婦人部を「脅威」におもうのか。「婦人のたたかうエネルギー」に脅威を感じているからこそ婦人の自発的エネルギーをどう引き出していくのかが問われているのです。いま、求められているのは婦人部の全面発達と婦人労働者の要求に依拠した婦人部活動の展開こそ求められているのではないでしょうか。
労働組合婦人部は他の専門部と違い独自の意志決定機関(大会)や執行機関をもち婦人組合員の総意を反映し民主的に運営してきています。 方針上の問題と行動(執行上)の問題を画一的にとらえ婦人労働者が独自に論議することさえ押さえ込もうとする傾向や、「婦人部自らが方針の決定をする婦人部大会の方針提起や決定」と基本組織における「婦人部のたたかい(婦人労働者のたたかい)」との違いが混同されている現象もしばしばみられます。「自主性・独自性」を尊重しながら指導することと、婦人部の意志を無視し抑圧・介入することとは全く質の異なるものといえます。
婦人部組織の意見の反映が労働組合の各級機関(執行機関、中間議決機関、大会)でどのように保障するのかは重要な課題です。そしてそれを確保するにあたって完全に保障する立場にたつのかそれとも形式民主主義を強調するあまり婦人労働者の意志を尊重しないという結果をまねいている事例も少なからず起こっているのも事実です。
☆規約の定めと実態の乖離・規約のもつ重み
以上の課題を完全に確保するには婦人部自らがその運営にあたっては民主的な運営を徹底し婦人労働者の総意を汲み上げることを重視しなければなりません。
「生活のあらゆる面で真の意味の性的平等が達成されなければ、経済的、社会的開発の遅れ、人的資源の誤用、社会全体の進歩の後退につながり、社会へのつけは高価なものになると委員会は警告した」(1991年12月国連婦人の地位委員会『女性:2000年への挑戦』)との世界の流れ、一方で労働組合の組織率低下と労働力流動化政策による労働者の構成の変化(女性・非正規比率)に加えて、なかなか運動・要求が前進しない中での閉塞感ともあいまって女性役員の登用が叫ばれてきてはいるものの、その視点は「時代の流れ 」という点に止まっているのではないでしょうか。
今日多くの労働組合では、婦人部(女性)を教宣部や共闘部などと同じ専門部扱いをし、組織部の一部門として組織部長の指揮下にある婦人部(女性)も少なくはありません。
一方、一専門部ではないとしながらも、「要求、意識、闘争水準を全体のレベルに引き上げる。もしくは、全体の闘争課題を具体化するための活動をする」という意味で『補助組織』という位置づけをしている組合もあります。今日増え続ける非正規労働者の組織化が進められ、そうした部門も「補助組織」に位置づけられるなか、『補助』という言葉に抵抗を感じる意見も出されてきており、組織論としての位置づけと、正しい『名称』の検討・研究が求められているのではないでしょうか。
2001年4月に全労連が単産・地方組織で男女平等推進委員会の設置を提起し2001年6月に「男女平等社会実現への推進プログラム」においても女性役員や大会・評議員会への「参加」の数の問題はクローズアップされているが、運動母体である「婦人部(女性)」の位置づけについては全く触れられていない。日本独特の組織形態として歴史的に要求前進にむけ果たしてきた組織を今後どのように扱っていこうとしているのか。
また、女性役員の登用過程で婦人部(女性)はどのようにかかわれるのか。婦人部(女性)運動とのかかわり無しに、女性の数だけ増やせば女性労働者の要求と運動の前進に繋がるのかなど検討する課題は山積していると言わざるを得ません。