当NakaiBlogでは、2006年7月7日に発行された「33年間の発言と退出 -1972年〜2005年 (非売品)」の内容すべてを掲載していきます。
中居多津子プロフィール
人生の“宴会でいう中締め”は、50歳の時「50と25プラス5」の集いという形で行いました。
そのとき、今は亡き福井さんが「25年前、我が家でカアチャンと2人で説得して・・・・・・強引すぎたのかな・・・しかし貴女の25年の活動を見て安心しています。絶えず前向きで、そしてこれからは、じっくりと余裕をもって頑張ってください」と言っていただきました。
それから8年、定年より2年早い退職を決め、市民ネットワークの事務局長を引き受けた時、山田郁子さんからは「発言する場所が確保できるというのは大事なことだ」と言われました。
その言葉で思い出したのが、1998年、福井さん主宰のレボレストのセミナーで「女性のための団結と発言の経済学」と題するコリン・ボイルさん(オーストリア出身の当時帝塚山大学助教授)の話のなかに出てきた「発言と退出」という労働経済学の理論でした。その主旨は「与えられた労働条件に不満を持つ労働者達は、基本的に2つの選択肢を持っていると思われる。1つは退職―すなわち職場を“退出”し、どこか他の所でもっとよい仕事を探すことである。2つ目の選択肢は労働組合を組織し、団体交渉を行う―すなわち労働条件改善のため“発言”することである」として労働組合の役割、女性の労働組合への参加の歴史など興味深い内容でした。
労使関係だけでなく、どの分野においても「発言と退出」はつきまとうものです。この冊子に収めた「発言」の一方で、私も幾度かの「退出」を経験した33年間でした。
米田佐代子さんは歴史を「彼の物語 ―(history)」ではなく「herstory(彼女の物語)」にと提唱されています。
このような冊子は、大体において、本人の自己満足であって、作成過程に意味こそあれ、できあがった代物は他人様には、ほとんど価値が見出せないのが世間の相場と決まっています。「中居多津子の物語」として、思い出話のツマにでもしていただけたら幸いです。
2006年7月8日
中居 多津子