(労働運動1986年9月号)
昨年5月、労働基準法の改悪とセットで「機会均等法」が102国会で成立した。そして、今年4月1日の施行を大きな節目に、この1年間、「労基法改悪攻撃を許さず、婦人の労働条件を守る」運動が職場を基礎にとりくまれてきた。
この間のたたかいの経過を見るとき、戦後の公務員労働者のたたかいの到達点と教訓をどういかしきったのか、また、戦後第2の反動攻勢という状況のもとで、公務員労働者にたいする攻撃のねらいや特徴を正しくとらえ、政策的にも組織的にも的確な対応をしてきたのかが問われているのではないだろうか。ここでは、大阪統一労組懇婦人連絡会のなかにおける、地方公務員と自治体労働者のたたかいを中心に、その成果と教訓を明らかにしていきたい。
今回の労基法改悪が、1952年の改悪につぐ大改悪であることは、労基法の歴史をみても明らかである。
1952年の労基法の改悪が、アメリカの占領政策の全面的転換――反動化攻勢、そしてサンフランシスコ体制という新たな日米関係のもとで強行され、内容も婦人労働者にたいする時間外労働、深夜労働の制限緩和であった。
また、この時期、公務員労働者にたいしてもスト権剥奪からはじまり、国家公務員法改悪(1948年12月)、地方公務員法制定(1950年12月)と攻撃が強められていた。
今回の労基法改悪は、労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会が1969年9月に設置されて以来、政府・財界が周到な準備のもとにすすめてきたものであり、オイルショック以降強まった資本主義体制の矛盾の深まりを産業構造の再編と労働者への新たな搾取強化でのりきろうとするものである。公務員労働者にたいしても軍拡・臨調路線による「行革」が推しすすめられ、全面的な公務員攻撃が強められてきている。まさに1952年当時と多くの点でにかよった状況にあるといえるのではないだろうか。
人事院は、労働省の労基法改悪の動きをにらみながら、1981年3月、「女子職員の健康安全管理基準研究会」を発足させ、1984年に「均等法案」が国会に提出された直後の5月26日、「女子職員の健康安全管理基準研究会報告」を発表し、人事院規則10−7(女子職員及び年少職員の健康、安全及び福祉)を大幅に改悪する方向を示した。
他方で人事院は、1983年8月5日の人事院勧告で「人事行政改善の諸施策」として公務員制度全般にわたる改悪に手をつけることを明らかにした。
1984年5月、人事院が公務員共闘に説明した「人事行政施策の改定作業の概要」のなかにおいて、「女子保護規定にもとづく休暇等については、国公法上の職務専念義務免除として、特別休暇からはずす」(口頭説明)と、公務員制度改悪のなかで、一気に婦人労働者の権利縮小をねらっていることを明らかにした。
そして、「均等法案」成立後の1985年8月の人事院勧告では、公務員制度改悪――給与体系の改悪、休暇の法規制の具体的内容を打ちだした。
このように、人事院の動きをつぶさに見るならば、公務員労働者にたいし、労基法改悪攻撃による人事院規則10−7の改悪と、公務員制度攻悪による女子保護規定にもとづく休暇の見直し攻撃が一体となってかけられてきたと見るべきではないだろうか。
大阪統一労組懇婦人連絡会は、1985年10月に開催した第2回総会において、「公務員制度改悪反対と、労基法改悪攻撃による人事院規則10−7改悪反対を統一的にとりくむ」とし、その後の運動スローガンも「人事院規則10−7改悪反対」にとどまらず「人事院規則10−7を中心とした人事院規則改悪反対」をかかげ、とりくんだ。
こうした動きを経て、1985年12月20日、103国会最終日に「国家公務員の一般職員の給与等に関する法律」の改定が可決成立し(改定前は「一般職員の給与に関する法律」といい、等という名称がついたのは休暇制度が含まれた)、生理休暇が特別休暇から除外された。
翌21日にこの法律を受け、人事院は、人事院規則15−6(休暇)を廃止し、人事院規則15−11(職員の休暇)を制定し、公布した。
この事態はその後の国家公務員の「生理休暇問題」のたたかいに大きな制約を与えたことは否めない。
公務員と一口にいっても、労働条件決定の機構は、スト権はく奪による経緯から、法制度上にも差異がある。
労働基準法の適用関係も、国家公務員と地方公務員、地方公務員であっても地方公営企業の職員、一般職員、現業職員とでの違いも存在している。
地方公務員法24条では、職員の給与、勤務時間、その他の勤務条件について次のように定めている。
第24条6 職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定める。
しかし、自治体労働運動の到達は、「条例主義」におちいることなく、労使の交渉を基本に労働条件を決定させ、労使の合意なしに一方的に条例を制定させないことを全国的にも勝ちとってきている。
ところが一方では、軍拡・「臨調」路線が推しすすめられ、人勧の凍結、値切りといった不当な攻撃が相つぎ、給与の「国並み」改定が続くなか、人事院規則という国家公務員の勤務条件を定める規定が地方公務員の労働条件を決定づけるかの風潮があったのも1つの現実ではあった。
こうした状況のなかで、自治体労働者は「臨調」地方行革の攻撃のもと、「人事院規則の影響はあっても拘束されるものでない」との立場を明確にしたたたかいをすすめてきた。
さきにも述べたように、自治体に働く労働者のなかでも、
(1) 労働協約を締結し、就業規則等によって労働条件が定められるもの
(2) 勤務時間や休暇は条例、規則に定めがあるが、他の勤務条件は労基法の定めによるもの(そのなかでも36協定など労基法の条項を活用し残業制限を勝ちとっている職場もある)
など様ぎまな形態が、たたかいの到達として存在している。
これは法制度上の定めとともに、個々の自治体職場でのたたかいの積み重ねによるものである。
私たちはこうした状況のうえにたって、労基法1条2項(この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとよりその向上に努めなければならない)の理念にもとづき、労基法改悪攻撃――条例改悪を許さないたたかいを徹底して展開し、条例や就業規則の改悪を許さなかった。この労基法の民主的条項に確信がもてず、受け身にたったところでは、議会による条例の一方的改悪が強行された自治体もあった。
私たちは、条例改悪をおこなわせないだけでなく、条例に定めのない部分――時間外・深夜・休日労働について、労基法適用の名のもとに労働条件を低下させないとりくみもおこなった。この部分においても、労基法1条2項とともに、労働条件の変更は労使交渉によるという今日までのたたかいの成果を堅持し、「法定至上主義」におちいらず運動をすることがもとめられた場面であった。
ところが自治労は「労基法の改正に伴う改正等について当局が一方的に行うことなく必ず組合との確認をすること」としながらも、「指揮命令者や専門的業務の種類は法の範囲にとどめさせ一方的に拡大させないこと」(1986年7月81日、第3回婦人部長会議議案書)と労基法改悪攻撃を許さず既得権を擁護していくことを前面にたてた方針ではなく、法より悪くさせない法定内闘争におちいっていることは明らかであった。
また、妊産婦の夜勤禁止という労基法の改正部分についても、労基法上の「本人の申し出」を根拠とし、「申し出は簡単なものとするよう、その様式を早急に確認すること」という方針にとどまっている。
労基法改悪攻撃を許さず、労働条件の維持・向上をめざしてたたかった多くの自治体職場では、妊産婦の夜勤禁止も制度として禁止させる方向を勝ちとっているなかでは、自治労方針の不十分さが際だって目立ってきている。
労働省は1985年10月31日、省令・指針の要綱案を発表し、12月12、13日、それぞれ東京と大阪において公聴会を開催した。
大阪では労働側3人(総評、同盟、電機労連)、使用者側3人、公益側2人の計8人が公述人として意見を述べた。
公述内容は使用者3人が(1)「均等法」には反対であったが法ができた以上守らなければならないが、法を遵守することの困難性を強調、(2)労基法の保護規定の緩和がまだまだなまぬるい、(3)就業規則、労働協約の改定にあたって労基法1条2項に抵触しないことを労働省として行政指導するよう要請するなど、資本のしたたかさと執拗なまでの搾取強化の姿勢をあらわにした。
それにひきかえ、労働側は総評が「いままで反対してきており要綱案にも反対」としたものの、婦人労働者の職場実態から不当性を明らかにし、使用者側意見に論戦をいどむ姿勢はまったく見うけられなかった。
同盟、電機労連にいたっては、それぞれ「今回の改定をわれわれは労基法改悪ととらえていない」「総論賛成、各論反対」の立場を明らかにした。公益2人は「妥当な内容である」「もろ手をあげて賛成」といいきった。
このように、大阪での公聴会の内容は、労・使・公とも、「均等法」「労基法」のたたかいにたいするしめくくりの場として、それぞれが総括的な意見を表明したという点で、重要な意味をもっていたといえる。
とくに、総評の「労働4団体が足並みをそろえてたたかったことが成果である」とする総括が「改悪ととらえない」同盟と「総論賛成、各論反対」の中立労連と政策的にどこで足並みをそろえたのかがいっそう明確になったといえるのではないか。
今回のたたかいでの教訓の1つは、戦後の労働運動――自治体労働運動のなかでたたかいとってきた様ざまな権利や労働条件がどのようなたたかいと、どのような政策的位置づけをもって確立してきたのかを、今一度全組合員のものにしなければならない子とである。
高度成長期のような到達闘争――追いつき、追い越せ方式ではなく、自らの職場と労働者に立脚し、それぞれの運動の歴史を踏まえたたたかいが求められているのではないだろうか。そのためにも、婦人部役員自らが学習し、自らの組織のたたかいの歴史に学ぶと同時に、政策的力量を高め、理論武装が求められているのではないだろうか。
同時に、制度的改悪にたいする全国統一闘争と個別自治体闘争の有機的結合をどのようにすすめていくのかが、今回の公務員労働者のたたかいではとりわけ問われていたのではないだろうか。
政府・財界の分断攻撃が強まるなか、労働者が団結してたたかうことは重要な課題である。
しかし、総評、公務員共闘、自治労が労働者の要求に応えず、その機能が低下しているもとで、私たちたたかう労働者は、政策的にも組織的にもその優位性を発揮しなければならず、上部の方針待ちでは情勢に的確に対応できないほど資本の攻撃は強まってきている。
私たちは、今回の「均等法」成立後のこの1年をこえるたたかいで、全国闘争というかくれミノがないなかで、自らの政策的・組織的力量が問われるたたかいを経験してきた。
このことを今後のたたかいにどう活かしきれるか、労働法制の全面改悪をひかえ、自治体労働運動の大きな課題となっているのではないだろうか。
(なかい たづこ・大阪府職労婦人部副部長)